昭和45年10月3日 朝の御理解
X御理解第、84節
おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、次第に踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。
人間のおごり高ぶった姿ほど、見苦しいものはないと思いますね、自分では気がつかない間におごりがましいことを、又はおごり高ぶっておる自分というものをいつも反省してゆかねばなりません。
その間違いない道を、段々踏み広げて通る繁盛、これが本当の繁盛だと仰せられるのですから、しかもその踏み広げて通る道に草を生やすようなことをすなと。 そこで私はまず思うんですけれども、お互いがおかげを受けて、いうならおごりがましい事のと思われる位な事でも、いうなら場、出来る位なおかげを頂きたいと思うね。そこからひとつブレーキというか、そこから本当の信心、いわゆるそのおかげをいよいよ踏み広げて通れる大きな道にいていきたい。
細い道と云うて、いつまででも、細々とした道を通っておるようではつまらん。細々とした道でも段々いうなら末広がりにずーっと広がっていく程しのおかげ、しかもその踏み広げて繁盛していく道に、草を生やすような事をすなと、それをどういう風に頂いたらよかろうかと。
私のいわば椛目から、合楽にかけての信心、これは確かに私は細々とした道から、段々踏み広げてつつがなく、おかげを頂いておる。これからとても、勿論それが踏み広げられていかなければんらんが、その踏み広げていくところに、草を生やさんですむような信心を頂きたいと思うです。
昨年より今年と、今年よりも来年という風に少しずつでも、やはり踏み広げていけれる信心。そこでやっぱりここで御神縁を頂いておる方達もそういう生き方をひとつ身につけさせてもらう、神習わしてもらうおかげ。
しかし合楽の場合まだまだ、これから願うておかげを頂いて憩うというので臼から、そのおごりがましい事の出来るはずもない程しの事だと、こう思うのですけれども、それでもやはりここのところをしっかり自分の心に言い聞かせ、畳み込んでおかんとですね、おかげを受けたあかつきに、それがおかげ落としの元になってはなりませんものね。
今日は八十四節と、八というのは広がっていく、その八がですね、四になってしまう、半分になってしまう、いわゆる繁盛していくのがピタッと止まって生彩を欠いてしまう、死んでしまう、そういうような事になってはならんと、例えば今日、私は八十四節というところから感じたんです。
そこで皆さんの場合、どういうようなところを各々たどらせて頂いておるか、よく各々の信心に胸に手を置いてみておかげを蒙っていかなければならん。
昨日、熊本の富永先生がお礼参拝して見えた。それで先生、私初めて体験させて頂いたんですけれども、合楽にお参りさせて頂こうと、思うて思い立ちましたら、熱が出てきました。
それは変わった事じゃなぁ、例えば具合が悪かっても、お参りしようと思うたら、気分が良くなったというなら分かるけれども、それはちょっとおかしいじゃないかと。
まあけれどもおためしという風に頂いたり・・・実は二十六日にお参りさせて頂くつもりで前の日から、いろいろ準備もさせて頂いて、おかげを頂いたところが、その朝から発熱しました。
私もどういう事かなと本当に合楽、合楽、もう本当に合楽の信心なしには、現在の日奈久はないと、自分でも思うとります、と言われるように、思いを心をかけておられる合楽にいこうと思うたら熱発したと、どうした事じゃろかといいよるところへ丁度、公子さんがお茶を持ってきてから、あら、親先生二十六日は伊万里にお出でられた日ですよ、と。ああそうだったなあ、私はその日はあんたが来てもおらなかったのじゃと。やはり合楽にお参りしたら、私に会うて、又ひと月の信心を言うなら仕入れて帰りたいという。親の元にお参りして来るのですから、私がおらんではやっぱりつまらんからね。そんなら熱が出なさったというのは、間違うとらんばい、ほんなこつじゃったと。自分も安心がいったようだった。 はあ、そげな訳でしたか、神様は間違えないですなぁと云うて、いろいろそれから、現在、おかげを受けておられる話を聞かせてもろうた。
先生もう本当に、段々神様のおかげを頂くようになってこの方、いうなら昨年の十二月をもう境に、もうそれまではいうなら大変な苦労であった。
体の上にも、もう富永先生は死なっしゃるというて、隣接教会でも評判するくらいでございました。又事実ひどかった。
それがおかげ頂いて、ところが十二月には、いろいろ経済、いろんな意味で追い込まれ、しかも十年あまりも布教所としておるその家を大家さんから、もう大体そんな人じゃないらしいですけれども、もうそれこそ、けんもほろろに、とにかくもう今年中に開けてもらわねば出来んと云うて、矢につけ火につけの催促。 というて信者に相談するような信者もおらんし、あっちこっちそんなら貸家になるようなところはないだろうかと思うて探してもない。合楽にお参りしても、とにかく成り行きを大事にしてゆきなさい、必ず道は開けるとだけしか頂かんし、もう困り果てて、もういよいよ年末というような。
ところがね、もう何日頃だったでしょうか。十二月の二十頃じゃなかったでしょうか。夫婦で参って見えました。その時はそうして本当にしら真剣なお取次を願われますとね、本当に、これから日奈久教会もおかげ頂いていかねばならんが、第一こういう状態になっておるということを、もう本当に涙ながらのお届けでした。
その時に、私神様に、お届けさせて頂いたら、成る程、人が冷たい、本当に、落ちぶれて袖に涙のかかる時、というような思いであろうけれども、その冷たい仕打ちこそ、実をいうたら、神様の仕打ちだと頂かにゃいけません。その冷たい仕打ちこそ、神様のおかげを下さろうとする働きのきっかけが始まったと思うわにゃいけません。
例えば成る程、雪は冷たいもの、雪は冷たいものだけどその雪の実態をいうものをよくよく見てご覧なさい。吹雪の中に立っておる、それは立っておれない程、冷たい寒いことなんだけれども、その雪のひとひら、ひとひらをよく味わってよく見て見るとね、一切の雪の中には、もう人間の知恵力では想像もつかない程しの天地の神様のね、細工がしてある。あれを顕微鏡で見るとひとつひとつが幾何学的な模様、丁度レース編みのような形にひとつひとつがなっている。
私はその事を神様にお知らせ頂いてもういよいよ神様の御都合だと思うた。
だからそれは冷たい仕打ちじゃない、神様のおかげを下さろうとする、神様のおかげだと、働きだと。
だからここを、神様有り難うございますという信心で受けていきなさらにゃ意見、そしてその先の事はもうままよと、今年中とゆう約束がしてある、今年中出来んのなら、もうそれこそどこでもです、神様をお供してです。いよいよなら里に帰ってもよいというごたる気持ちになって、ままよという気持ちでお縋りしていかれたらよかろうと申しました事でした。 体の上にもそういうところを通っておられた。
ところがその時分に今度来てから先生のお話ですけれども、どうせ死ぬのならね、ここまで神様の御用をさせてもろうて、取り次ぎ者としての御用まで許されておかげ頂いたのでるから、本当に神様のおかげを頂いたのであるから、本当に神様のおかげで死んでいこうと思うた。もう今まで、医者じゃ、薬者というておったその事を、もうひとつ返上して、本当に神様のおかげで死んでいこうと、親先生、私はその時体の上の事にだけは、そういう覚悟が出来ましたと。
それから、ずーっとおかげ頂いて、今日こうして健康と迄はいかんでも、毎日こうして御用の出来る程しのおかげを受けておる事を、細々と聞かせて頂きましたが、それと同じように、そんなら経済とか、家の事についてもです、そのようなところを通られた。
通られてもうとにかく、家移りが三十一日の大晦日の日でしたから、その時に三里くらい離れたところから熱心にお参りしてくる青年の方があった。その方がその事を聞いてから、真剣に家を探そうという気になって、そして現在の教会をおかげ頂いた。
もう日奈久の町の繁華街から遠くない、それで閑静なところ、しかもこれは教会の為に建てた家じゃろかというような教会が見つかった。しかも素晴らしい条件の元におかげ頂いた。
信者さん達がその方を中心にして働きだした。そして三十一日に家移りが出来た。始めて自分の家、自分の教会で元旦祭を司えた時の有り難さというものはもう、とにかく、大変な感動であった。それから一、二カ月致しましてからでしょうか、教会の総代さんが揃うた。それまではね、もう丁度、立教百年の時に布教に出られらそうですから、十年あまりというものは、もうそれこそ細々として夫婦のものがやっとおまかないが頂けれるという事であった。
信者が出来たと思えば離れ、これはと思うと、またというように、もう全然、そういうどうにもゆこうにも出来ないという時に吉田先生のお導きで、合楽に御縁を頂いた。
それから段々安定してきた信者が出来るようになり、教会にしても、おかしくないといったようなお繰り合わせを頂いて、そん後に信者ができてきた。総代も出来た。教会の申請をした、許可が下りたといったように、初めて十年振りに日奈久教会としての許可が下りた。
先生、さあ、それからというものですね、毎日五、六人ずつ求信者があると、今日までまだ続いておる。それはみんなが信者になっていくという訳ではないけれども、毎日五、六人ずつのそれがある。
それこそ信者の中にはもう、私共もびっくりする程しのお日届けなんかが出きれる信者も段々出来てくるようになり、もう親先生、本当に神様の働きが始まるということはもう、本当にいわゆるすさまじい、というわけでおる。
最近では親先生、月次祭たんびにお米、それから御神酒は売らせて頂いとりますと、もう家内と二人で話し合いましたから、信者さん方にも、あそこはもう御神酒がいつも出してあるそうですね、月次祭だけでなくて。
それで十分頂いてもうてやっぱりどうにも出来ん、大体が、御神酒は夫婦で頂きなさいましけん、もう夫婦で五合くらい頂きよる、位にお酒が強い、そげんして頂いたっちゃ余ると、だからそれを売っていく、、勿論お米を食べきる段じゃございません。
たった十年間の間にね、ほんな昨年の十二月のお広前の移転を境にそういうおかげを頂いておる。
丁度私がいわば椛目に帰ってそして一年の間に、一年後にお祭りを仕える時には、二回にわたってお祭りを仕えにゃならん、といったようなおかげを頂いた。それと同じようなケースですね、やはり。
ですから、私はその先生の体の事に於いても、経済の事に於いても、やはり本当にもう難しかろうか、という時に、すっぱりもう同じ死なせて頂くなら、神様のおかげで死なせて頂こうという気になられたと。
経済の上にも本当に冷たい仕打ちと思うておったのを神様のこれは、大家の仕打ちじゃない、神様の御仕打ちであるとして頂けたところから、いわゆる本当に今年中という約束のぎりぎり、三十一日には家の神様をお移し出来る準備が出来て、いわゆるお移り申し上げることが出来たというようなおかげ。
それからはというものは、というおかげにつながってきとる。久富繁雄さんがお初穂の整理をされる時に、本当にもうお参りしてこられるたんびに、そのお初穂の内容が変わってくる。おかげを受けておるしるしなんです。もうたびたびに変わってくる。やっぱおかげを頂いておる、それがそれ現れてきておる。
例えば道を開いていくというても、細々とした道から、踏み広げて行くならですね、そういう面にも広がっていかなければ嘘ですよ。
十年前も百円、十年後もまだ百円というような事じゃ、お互いがおかげを頂とらんしるしですし、又それではおかげになりません。
ですからそういうところにです、私は草をはやさんでいくひとつの修行がある。道に草を生さんで済むおかげ、そして云うておられます、こうしてお酒やらお米やらは、月次祭たんびに分けさせて頂く程しのおかげを頂いとる。しかしこれだけは家内と話し合って、このお金ども普通の事に使うちゃならんと云うて話し合うておりますと、云うておられます。
そういう風に段々、おかげを頂いて参りましたらです、今度はもったいなさというものが、いよいよ自分たち夫婦を見極めなければ、という事になってきた。御理解を頂けば頂くほど、とにかく、ひと月に一回の月参りですけれども、ひと月に一回のあのテープを毎日毎日それこそ暗記する位に憶える、頂かしてもらう、信者と一同に。
ですから、昨日頂いて分からない事が今日頂いて、又分かるという位に、合楽の頂いておられる御理解に熱中している。だからそういう風な考え方も段々出来られるようになる。
今日は先生、ひとつ今までお届けせんならんと思うとったが、なかなか出来んならんでおったが、今日は聞いて頂きたい事があると。どういう事ですかと、先生実は私は家内からも言われます。けれどももう先生、あなたばっかりは、悪知恵ばっかり強うてから、ああた悪知恵が強すぎると家内から言われます。
言われてみて本気で自分というものを反省しだしたら、先生私くらい、悪知恵の強いものはおらんように思います。私は本当に素晴らしい反省だと思います。なかなか、そんな事はお届けできませんよね。
そこでね、そこんところに、自分のこれからの改まりという事を焦点に置かせていただいて、その事についてははばかりますようなことですから、ですけれども、自分の一番の欠点をですね、さらけ出して、そこから、どう自分が改ませてもらい、いわばよい取り次ぎ者としての、おかげを頂いていこうかという事に、精進させて頂きたいと言う願いを今度改めて、お願いなされていかれました。
驕りがましいことをすな、ものは細うても永う続かねばと、例えば日奈久教会の場合でも、長い下積み時代、言うならば修行の時代、たまたま椛目に御縁を頂いて、段々細うても永う続くことの為に、いよいよ細い道を踏み広げていこうとしておられる。
しかもその踏み広げていこうとする姿勢の中に、いわゆるお供えを売らして頂く程しのおかげを頂いておられるけれども、これが例えば自分の都合の為にその金を使うような事があってはならない。というたり、又はおかげを頂いていく、広がっていきよるように、精進を続けておられる。
いわゆるそういう精進がです、その道に草を生やさんで済む事ができるであろう。そこで私は自分の心の上に、驕りがましい心が出てはおらんか、出よりはせんかという風にいつも反省していく事が大事ですけれども、これは私の流儀であり、生き方なんですけれどもね、次第に踏み広げてゆかねばならんどころじゃないけれどもね、自分で求めてものを買うよとか、つくると言ったような事をしない。それで段々踏み広げていけれるという道を、皆さん体得されるといいと思うです。
神様は例えばどういう贅沢な食べ物でも贅沢な品物でも、神様が私共の為に用意して下さるのですから、それが頂けれるように、おかげを頂く事は有り難い。 けれども自分の力量以上のものをです、例えば自分で頂こう、自分の身につけようと言うような考え方をいつも諌めていかなければならない。
そういうひとつの踏み広げていくことの為の基礎といったものが十分出来ておらなければ出来ん。
驕りがましい事をしようと思えば出きれるような、いわば身分に段々おかげを頂いていっても、そこんところを言うならばきちっとわきまえていく信心。
例えば皆さんが私の事をご覧になってから、成る程それはちった贅沢じゃないかと、それは分かりすぎたことじゃあろう、私もそれを感ずる事がある。そういう時には、私はそれをいよいよ慎んで頂くことにしている。
昨日、家内が明日からの御本部参拝に道中着はどういう着物を着ていかれますか、あちらではどういう着物を着られますか、出しとかんとならんからという訳ですが、私はその事で色々考えさせて頂いた。まあだ返事はしとりません。
というのは、私の心の中に考える事があるからです。この前の御本部参拝の時にはそれこそ二十万もするというような着物を道中着に着ていった。お供えを頂いたから初めて着せて頂いた。
だから今度もやはりそれにしなさるかといわれても、それはちょいと待っとけ、それはちょっとよすぎる。もう少しこちらの信心がおかげ頂いてから着せて頂こうと。
という風にですね、例えばそういう風な事にでもですね、すぐ返事をしないだけ、私は自重しとるつもりです、私はどうでもひとつ、折角の広がっていきよるものが、四になってはなりませんから、いわばこれが広がっていくおかげをどうでも頂きたいですから。
ですから、というてそんなら、私が二十年前のようにです、いうならみすぼらしい格好をいておろうとも思いません。神様が下さるなら、十のところを下さるなら、いつも八のところくらいなところに止まっておるといったような生き方。 いっぱしの生き方をしよっては、人間ですから、どこに驕りがましい事にならんとも限りません、ですからそこんところをいつも心がけさせて頂いて、いよいよ踏み広げて通る。繁盛というのはね、踏み広げて通るという事が繁盛、これはいつまでも細々という意味じゃないです。
細い道でもと、成る程細い道でも踏み広げて一尺の道が二尺になり、二尺の道が四尺になり、四尺の道はもう八尺に広がっていくという事ですから、これが繁盛です。
そこに草を生やさんで済むような精進、そこんところをです、お互い現在修行中という時に、しっかりひとつ身につけとかねばならん。そこんところを例えば富永先生と今度、私がお取次させて頂いてです。そこんところを、成る程見事に生やさんような生き方をしていっておられるなぁ、だけではない。自分自身の上にもです、猛反省をして、そこから自分のいうならば作りなおし、といったような事に迄、考えがおよんでいきよんなさるという事を、聞かせて頂いていよいよおかげ頂きなさるなぁと、こう思うた。
先生もう本当に慢心がでろうごとあると、みんながおかげ頂くから。・・・
立教百年の時に百名からの先生方が卒業された、みんな、それぞれに布教にでられた。それを全部調べてみてから、現在百名の中で一番おかげ頂いておるのは、私のごたると言われました。
という位に慢心がでろうごたるという。そこでそこにいよいよブレーキをかけてのいわば生き方でなければならない。例えば今日の八十四節を頂いてから、昨日の富永先生のお取り次ぎさせて頂いて、間違いのない合楽の生き方を身につけていきよんなさるなぁと、思わせて頂いたんですけれどもね。
その内容としてですよ、そういうおかげを頂く神様の?迄の信心というものも今日は聞いて頂きたいと同時に、そのおかげを頂いた暁のところの信心がね、そういう言うなら謙虚な、それこそ薄氷の上をわたるような思い、石橋をたたいてわたるような思いで行っておられるという事が有り難いと思わせていただきましたがね。
丁度、この八十四節のところに当てはまるような思いがしましたから、聞いて頂きました。 どうぞ